賽(さい)の河原と地蔵尊

賽の河原
賽の河原

宝剣山荘の裏の石穴に35cm程の小さな地蔵尊があります。ここから中岳の登り口、遭難碑辺りまでは「賽の河原」と呼ばれています。地蔵尊は、諏訪の行者寂本が、文化6年(1809)7月に奉納していて、石工は周治と記されています。付近には、駒飼ノ小屋(宝剣小屋の前身)初代小屋番後藤治郎平の眞績霊神碑と御所ノ峰小屋管理人(林彦三郎)の彦魂霊神碑が明治25年(1892)に建てられました。これも最近復元されたもので、大正時代には田中権三郎の駒峯霊神碑もありました。

賽の河原の地蔵尊
賽の河原の地蔵尊

後藤治郎平と林彦三郎の碑
後藤治郎平と林彦三郎の碑

駒峰霊神
駒峰霊神

遭難碑

遭難碑

中岳の登り口にある現地の石で造った遭難碑は、賽の河原で視界が利かなくなった時の道標の役目を担っています。この遭難記念碑を右に登ると、一般コースで中岳山頂に達します。左に登ると急峻な巻き道で、積雪期は通行禁止としています。昭和30年(1955)11月28日、木曽山林高等学校生が深い霧と風雨のため、方位がわからず、宝剣岳で滑落し凍死するという事故があったことから、濃霧の時の目印としてケルンを積んで慰霊碑としました。


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