青獅子石

中岳山頂にある社の裏に石室のような空間があり、穴の上の石に青獅子石と彫られています。

大正13年8月、倉田利市氏が、壇徒ではありませんでしたが、光前寺住職と懇意な関係であったので、青獅子を見せてくれないかと訪ねました。利市は、お大黒さん(お寺の奥さん)がお茶の支度をしている間に青獅子を担ぎ出し、北御所を登り宝剣小屋に着きました。濃ヶ池で獅子を浸して雨乞いをするとのことに、小屋番は、天気も良くなかったので、やめるように言ったそうですが、どうしてもと出かけた。しかし、中岳まで来ると猛烈な夕立にあいました。利市がその時避難した石穴の横の巨岩に「大正十三年八月・雨乞記念石・旱天之際・赤穂倉田利市・於此石上祈願・成就」と記してあります。後の調査によれば、利市はその時、濃ヶ池までは行かなかったということでした。地元では利市が行方不明になったとして消防団が出て捜索しており、光前寺の本堂には下山した時の記念写真が奉納されています。[当時の小屋番の友野力松さんやガイドの堺澤虎一翁の口伝]
仮に濃ヶ池に行っていれば痕跡を残すだろうか見当たらない。

他にも、光前寺の雨乞いの歴史は、宝永7年(1710)、天保8年(1837)、明治21年(1888)などがあります。

光前寺の青獅子を持ち出すと雨が降るといわれている雨乞い信仰があるが、高森町の瑠璃寺にも青地獅子があり、秘蔵の雨乞い青獅子と言われている。大島川の不動滝から上がったとされている。
この不動滝は、2007年1月に凍結した滝を初登攀した思い出がある。
 瑠璃寺でも、1942年8月16日1949年8月25日不動滝へ繰り出した記録がある。この青獅子は光前寺の青獅子とそっくであり、御開帳時に協力関係があった。
二つの寺共獅子舞が奉納されていて同時に伎楽面を被って青獅子舞いを行うが、この青獅子が喝して水を求めるところから、水を呼ぶという起源のようで獅子の呼ぶ水が雨となって降って来るということを舞踊化した。

青獅子石
青獅子石

雨乞い記念石
雨乞い記念石

摩利支天(まりしてん)

中岳の東端に飛び出た岩があり、ここに「摩利支尊天」と記した石碑がはめ込まれていました。今は社の脇に置かれていますが、本来、摩利支天は主峰の前面に祀る物であり、元の位置に戻したいものです。[記録には、摩利支尊天寛永6年6月(1853)伊那部御薗講とある]

摩利支天とは、インドの民間信仰から仏教に取り入れられた御法神の一つで、陽炎(かげろう)を神格化したものとされています。陽炎は実体がないので捉えられず、焼けず、濡らせず、傷付かない。隠形の身で、常に日天の前に疾行し、自在の通力を有すとされ、日本では武士の間に摩利支天信仰がありました。

日本の山岳信仰の対象となった山のうちの一峰が摩利支天と呼ばれている場合があり、その実例として、木曽御嶽山の摩利支天山、乗鞍岳の摩利支天岳、甲斐駒ヶ岳の摩利支天などがあげられます。

摩利支天
                           摩利支天2002年kiyo撮影                                                 2001年宮田村博物館小池氏撮影