三ノ沢岳分岐に信州大学生の慰霊碑があります。

昭和25年(1950)8月26日から空木から縦走してきて、ここで力尽きてしまいました。「天候はわれらに機會を与えず」というスコットの名言が刻まれた案内標識と信大生塚本君の追悼碑があります。

また、昭和29年(1954)6~7月に空木方面で遭難した2名の捜索活動は、翌年赤穂町観光協会山岳部の部長をしていた長谷部重一さんの要請で、行方不明者の捜索に赤穂高校山岳部卒業生を中心に結成された駒峰山岳会を主力として捜索隊を作り、捜索を行いました。この捜索が赤穂町で初めての捜索隊でした。それ以前は堺澤虎一氏や長谷部重一さんが青年会山岳部に入っていたので個人的に行っていました。信州大学生は昭和30年(1955)7月17日、熊沢岳から南へ3つ目のピークの伊那側のハイマツの下で発見されました。その遺族の寄進で檜尾に避難小屋が建てられました。
(現在の小屋は三代目です)

追悼碑

案内標識