農事暦としての雪形(ゆきがた)

中央アルプスの盟主駒ヶ岳の「駒」の由来は、そこに現れる雪形にあります。雪形は古来より、農家の種まき時期の目安として地元の人々に口伝されてきた農事暦であり、駒ヶ岳に見られる雪形を列挙すれば、北から将棊頭山(しょうぎがしらやま)の双馬八の字中岳の駒形、前岳の種まき爺(じい)極楽平のサギダルと白鷺(しらさぎ)島田娘(しまだむすめ)、種まき爺、空木の鬼面(おにづら)、田切岳の権兵衛と駒南駒ヶ岳の5人坊主種まき爺越百山(こすもやま)の牛天神があげられます。これらは、昭和初期から雪形を研究されてきた田淵行男氏が、昭和56年(1981)に日本で最初に発刊された雪形の写真集「山の紋章雪形」にも掲載されています。

また雪形については、民俗学者の向山雅重氏の「残雪絵考」や加藤淘綾氏の挿絵にもあり、田淵行男氏は、雪形には、農業の中で最も重要な稲作と結び付いた「種まきじいさん」の類が多く、その次に僧や虚無僧など信仰の世界を重視し、また、動物の類では農作業に欠かすことのできない「馬」が多くみられ、当時の農民の生活意識が反映されていて、更に人生観をも感じられると語られています。今では農業も機械化され、更にインターネットの普及により情報が豊かになり、また、気象予報も正確になって農事暦として雪形を活用することはなくなってしまいました。代わって雪形愛好家や写真家などが、趣味として自分の雪形を発信するようになり、なかには歴史的ルーツを無視したものもみられます。

中央アルプスに見られる雪形

島田娘(しまだむすめ)

島田娘
千畳敷周辺 島田娘と種まき爺(稗まき小僧)

中央アルプスの雪形で最も有名で、誰でも目視することができます。雪の中に黒々と島田髷(しまだまげ)に結ったいかにも初々しく南に向かっている横顔は、そのあでやかな肩先あたりまで現し、5月の空に見事に映し出されています。

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下方の白サギ

千畳敷周辺 サギダル
千畳敷周辺 サギダル

6月に入ると、極楽平の雪庇(せっぴ)が落ちた跡に、翼を広げて舞い降りる白い鷺(さぎ)が浮かびます。この下方には、その昔千畳敷ホテルの飲料水を採っていた小さな滝があり、更にその下には富士見滝があります。小さな滝のことを垂水(たるみ)といいますが、山人は「タル」と呼んでいました。ロープウェイの架かる以前の登山は、北御所を登っていたため前岳に達していてサギダルを見ながら登りました。この雪形は駒ヶ根の中割からも良く望めます。

宝剣岳の南、千畳敷の神社の上のピークをサギダルと呼んでいます。近年、サギタルの頭(あたま)という人やパンフレットがありますが、古くからの呼び名は「サギダル」です。言うまでもなく「○○の頭(あたま)」と言うのは、無名のピークの傍、又は下方に固有名称の地籍があり、その上方のピークに名称がない場合、何々の頭(あたま)と呼んでいました。中央アルプスでは胸突き八丁坂の上のピークを胸突き頭(あたま)と呼んでいます。ちなみに「の」をつけず、頭(かしら)と呼ばれているピーク(将棊頭等)もあります。

白サギの雪形 前岳付近から見られる二つの白サギの雪形


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将棊頭山(しょうぎがしらやま)の双馬

将棊頭山の双馬
            将棊頭山(しょうぎがしらやま)の双馬

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駒形と稗(ひえ)まき爺(種まき爺)

前岳の稗まき爺と中岳の駒
                前岳の稗まき爺と中岳の駒

北アルプスでは白馬岳の「代掻き馬」が知られていますが、中央アルプスでは、木曽駒ヶ岳の名前の由来となった「駒形」が有名で、中岳東面に現れ、高遠からよく見えます。お百姓の馬が草を食む姿とも、水を飲もうとしている姿とも見え、その口の向くところに、駒飼ノ池(こまかいのいけ)があると古文書にはきされていますが、実際の駒飼の池は後ろ足付近です。

その昔、中岳は駒ヶ岳、あるいは駒形山と呼ばれていました。

この駒形が姿を現すのと同じころ、その南方下に、笠をかぶり、肥やしを撒くひしゃくを持った人形(ひとがた)が見られ、大豆を蒔く時期の目安であるとされてきました。これは稗(ひえ)まき爺とも言われ、稗蒔きの時期を見定める雪形時期とも言い伝えられてきました。稗は畑作物として大豆とともに非常に大切な食料であり、米は年貢として納めなければならなかったため、稗を精白して白米に混ぜて炊いていました。稗飯は百姓の常食であり、白米ばかりの白飯は特別な時しか食べられませんでした。

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空木岳(うつぎだけ)のウツギ

空木岳のうつぎ
                       空木岳のうつぎ

空木岳の麓(ふもと)に池山という里山があり、その昔は入会山(いりあいやま)として馬草を刈りに入っていました。また、大正時代には牧場としても使われ牛馬を放していました。ここには糊ウツギや蔦ウツギが群生しています。更に、この空木岳を6月頃に麓から仰ぐと、木々の緑が高くなるにつれ黒木(トウヒ、ツガの林)が紺色となり、その上にあたかもウツギの花が咲いたような白い山容となります。

空木岳は、その昔は前駒岳と呼ばれていたものを、ウツギの花盛りの頃、山の姿が、その花盛りのままの美しさに見えるところから変えられたということで、ウツギという雪形は、他の雪形のように山肌に見える特定の姿ではなく、6月頃の山容全体を表現したものなのです。

その昔、ウツギの木は、葉つき小枝は、蚕の糸をつむぐ時に使う口立箒(みごほうき)として、幹は鍋蓋の取っ手を固定する木釘や爪楊枝等に使われていました。また、歌にも歌われているように垣根にも使用され、暮らしの中には無くてはならないものでした。

虎一翁
虎一翁

明治35年(1902)生まれ

明治42年(1909)父親の行者と共に駒ヶ岳に初めて登り、その後行を共にする。

大正8年(1919)ガイドを職業とする。

大正14年赤穂ガイド組合長

昭和10年赤穂警察より山案内人許可書発行される。中央アルプス遭難防止駒ヶ根班長

平成7年(1995)7月、86年の山歴閉じる

平成8年(1996)94歳でガイド最後の仕事として下伊那の中学校を案内する。

平成8年3月没


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権兵衛と駒

空木の南方、南駒ヶ岳までの中間に赤梛岳があるが(あかぎだけ・2.798m)の峰の下に
南向きのネコ(写真参照)を背負った「種まき爺」と小さな「駒」のような雪形が出ます。

これを天竜東の伊那耕地の人々は「権兵衛と駒」と呼んでいる。

田切岳の種まき権兵衛と駒
                                  田切岳の種まき権兵衛と駒
(雪形の出るピークは赤梛岳であるが麓から見ると田切岳の斜面に見えることから付けられた)(当時は、山に登る人が少なかった)

      ねこ(背負い袋)
山仕事に背負っていく藁で編んだ 弁当や道具を入れていく背負い袋
ねこ

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5人坊主

南駒ヶ岳の5人坊主
             南駒ヶ岳の5人坊主

南駒ヶ岳の擂鉢窪(すりばちくぼ)カールの稜線に、5月頃になると5個の黒い岩形が並んで現れます。飯島町や中川村の人々に大豆や粟、稗等の蒔きつけ時期の目安として親しまれてきました。

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南駒ヶ岳の種まき爺(稗(ひえ)まき爺)

南駒ヶ岳の種まき爺
南駒ヶ岳の種まき爺

南駒ヶ岳(2841m)の峰の直下に、笠をかぶったような人形(ひとがた)が出ます。「南駒の種まき爺」と言われています。田淵行男氏は「雪の紋章 雪形」の中で「伊那谷には総計6体の『種まき爺さん』が知られている」と、(1)将棊頭の北よりに大萱から見える種まき爺、(2)中岳の駒形の南に出る種まき爺、(3)空木の東方の稜線に出る宮田から見える稗まき爺、(4)赤椰岳(あかなぎだけ)に出る(田切岳右裏方)種まき権兵衛、(5)南駒ヶ岳の種まき爺、(6)島田娘の左の種まき爺の6体をあげており、この南駒ヶ岳の種まき爺は「伊那谷で5人目の爺さん」と親しみをこめて記しています。

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牛天神

越百山の牛天神
越百山(こすもやま)の牛天神

仙涯嶺(せんがいれい)の南方、越百山(こすもやま・2613m)の北側に、北向きに黒く大きな牛の形が現れます。雪形が最もよく現れる時期(概ね5月下旬)には牛の背中に人形(ひとがた)が出ると言われています。「越百山」とは、百の山を越えなければ到達できない深い山と言う意味であるといわれており、この雪形と山名とは結びつきません。

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将棊頭山(しょうぎがしらやま)の八の字と種まき爺

八の字
将棊頭山(しょうぎがしらやま)の八の字と種まき爺

将棊頭山の東面に、前かがみで両手を広げた人形(ひとがた)が、4月の初旬に、伊那市の大萱から望めます。加藤淘綾氏は「笠をかぶり、手を上げて種を蒔く様、その手からこぼれるものの量が多く見えるので、それは蒔肥え(まきこえ)の堆肥と見てよい」と解説しています。

更に、八の字は八方尾根が有名ですが、将棊頭山の東方にも現れ、高遠城址公園からよく見えます。

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