日暮の滝(ひぐらしのたき)

日暮の滝昔人は登山ルートとして沢を遡行しており、駒ヶ岳でも宝剣岳から流れ落ちる川を登れば山頂に行くことができると、登路を沢に求めたのです。阪本天山は、宮田の宿場を暗いうちに発ち、菅の台で夜明けを迎えて、更に地蔵平から中御所谷を遡行し、日暮の滝の下へと出ています。天山の登駒岳記には「谷あいに千尺もの山を激流が雲の間から流れ落ちるのを見る。いわゆる大瀑である」と記されています。また、天山の父である運四郎の駒ヶ岳見分復命書に「大横川は子(ね=北)に当たる。左にはわる谷が申の二分、さき谷は申(さる=南西)の方にある。九十間登り大滝の下で昼食をした。」(意訳)とあるように、江戸時代は大滝と呼ばれていました。日暮の滝の名称は、麓から歩いて登ると1日行程で日が暮れるところからつけられたと言われています。明治44年(1911)に作られた地図には載っていないので、それより後に樵(きこり)や山師などの生活の中に根付いて命名されたと思われます。滝へはしらび平から遊歩道があり、10分くらいで行けます。ロープウェイを架ける前は中御所谷に登山道があり、昭和30年(1955)頃まで滝の上に白美小屋という丸太小屋がありました。更に、白美平から檜尾橋まで木馬道(※きんまみち)がありこれを登山道としていました。

※木馬道(きんまみち)…山奥から材木を道路際まで運ぶための仮設道。道には横方向に丸太を埋めてあり、木馬(きんま)と呼ばれるソリのような荷台に材木を載せ、その上を滑らせて運びます。