千畳敷に上がるロープウェイに乗ると、ゴンドラのガイドから、前岳には日本登山史の初めといわれる阪本天山の勒銘石があるという説明がありますが、駒ヶ岳の登山史のはじめは、上松の徳原長太夫春安が、山頂に保食大神を創建したのが天文元年(1532)であり、勒銘石は252年後の天明4年(1784)に創られました。この勒銘石は、尾根に露出した目が細かく硬い大岩の平らな面に四言絶句の漢詩を彫ったもので、検分のために駒ヶ岳に登り、その霊峰を眼前にした天山が、その場で銘を作り、工人数人に刻ませたものです。その時の記録が登駒岳記としてあります。天山の登駒岳記には、勒銘石のある峰を畳石峰と記してあります。

勒銘石

   漢文    意訳    読訳
霊育神駿 霊が神の乗る馬を育て 霊(れい)は神駿(しんしゅん)を育(そだ)て
高逼天門 高く天門にせまる 高(たか)く天門(てんもん)に逼(せま)る
長鎮封域 長く平和を守ってきた 長(なが)く封域(ほういき)を鎮(しず)む
維嶽以尊 何と尊い山ではないか 維(こ)の嶽(たけ)以(も)って尊(とうと)し
天山先生勒銘石之碑 『駒ヶ岳は、宇宙の霊によって育てられた神馬の住む山  高く天に届くほどそびえ  永遠に我々の住む国土を平穏に保ってくれる  この山はだから尊い』  (竹入弘元氏 訳)
副碑「天山先生勒銘石之碑」 昭和6年建立  

阪本天山は高遠藩郡代で、中御所谷(日暮の滝)から前岳尾根(中御所谷と西横川)間の尾根をたどり、八合目から前岳を経て駒ヶ岳に登っています。天山は延享2年(1745)高遠城の東、荒町に生まれました。砲術家としても知られています。高遠藩では重臣として藩政に王手も重用されましたが、中傷にあい高遠を離れ平戸藩に招かれ藩士の教育にあたりました。59歳の生涯を長崎で閉じました。長崎、皓台寺には「信州高遠天山先生阪本君之墓」と刻まれた墓碑と「天山社」という名称の神社が残っているそうです。