1975年の7月24日宝剣小屋を出発して、大樽小屋で休憩して午後2時頃出発した直前に10名ほどの学生が落雷に遭い1名が重症をおった。
当時は雷情報は、正確ではなくラジオの雑音で雷の発生を予知するしかなかった。 新聞にも報道され物議となった。
その時のガイドは、堺澤の竹馬の友であり、ショックで其の後ガイドは辞めた経緯を覚えている。

この教訓から伊那谷の中学校は、午前中に行働するようになった。

落雷現場

大樽付近落雷碑