西駒山荘の西方に天水岩があります。駒ヶ岳の古い地図(天保13年(1843)高遠藩の儒学者中村元起の駒ヶ岳杞遊)には、木曽駒ヶ岳を乳ヶ嶽と記し、中岳を駒ヶ嶽と記しています。その右下に馬舟石(ばふねいし)が記されています。

また、同年の高遠藩士田中甚庵の登山記には駒舟石と記されています。

天水岩は、岩石の窪みに雨水が溜まったものを言い、各地にあり、白山では御手水鉢(おちょうずばち)と呼んでいます。その昔は、天水岩にたまった水を和紙に浸して持ち帰り、馬に飲ませて馬の無病を願う人も居たそうです。

また、大正8年(1919)9月、当時の山岳ガイド(中アの開拓者堺澤虎一翁)の日記には、伊那女子高等学校長とガイドが調査登山の時、天水岩の前に陣取り、手拭で溜まった水を残らず吸い取りしばらく見つめていると、知らぬ間に岩底に水が溜まってきて、これは面白いと次々に水を汲み出しますが、しばらくするとまた溜まってきます。魔法に掛かったような錯覚を起こし、「こんな財布が欲しいなー」と言うと、先生も負けず「5つくらい欲しいなぁー」「先生、それは欲が深すぎる」と大笑いしたという記録もあります。

ここから木曽駒ヶ岳が前方に望まれ、その左正面に鋭く尖った中岳が見えるところから、昔は中岳を駒岳と称したのかもしれません。付近にはいくつもの霊神碑があり、信仰の深さをうかがい知れます。さらにここで水の補給をするとの記録もあります。

天水岩
天水岩
霊神碑
霊神碑