馬返し

科学肥料が無い時代は、家畜の堆肥が唯一田んぼの肥料であった、農家では山に「刈れ敷しき」(下草)を刈りに行き馬の背2束づづつけて
馬の背につれてきて馬屋で踏ませた。馬1頭につけてくる荷を1段と言っていた。
当時の農家は嫁よりも馬を大事にしていた。「嫁は代わりがあるが馬はない」と祖父からきかされていた。

明治時代から昭和25年頃の農家の家は家中、蚕の作業場になるようなつくりで玄関先に風呂桶と厩があった。
厩は天井がなく、「刈れしき」をどんどん入れるので馬が土間のたたきより高く、梁上まであがっていた。
その「刈れしき」を刈るのに、これ以上急坂で馬が引き返した場所の名残である。

              付近にある大山祗神を祀った社
  この社は、所謂山の神であり、大黒谷で作業する村人達の守り神であった。

馬返しの古い祠

※大山祗神(おおやまづみのかみ)…文字どおり大いなる山の神のことです。山の政令が神格化されたもので、日本神話では伊弉諾命(いざなぎのみこと)と伊弉冉命(いざなみのみこと)の子で木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の父とされています。渡司大神(わたしおおかみ)という海をつかさどる神の別名を持っています。瀬戸内海の大三島にある大山祇神社の総本社は大三島そのものが古来から海上交通の要衝であったことから、海の神、戦いの神として尊崇を集め、山本五十六や武将が参拝しており、現在も海上自衛官の幹部などが参拝しています。その昔、里人の生活圏の証となる山の神神社