この小屋は,1963年1月の遭難を契機に建てられた。詳細は「中ア遭対協40年の歩みと」と中アを守って半世紀」に詳しくきさいされている。

当時会の代表であった事と中アの開拓者堺澤虎一翁達が空木平の石室を建設した思いを継承すべであり、それが後輩に託された使命と思い、用地の確保から各種複雑な役所の許可や現地の測量を済ませ着工まで7年かかった。無名の民間人が国の用地を借用し、山小屋を建設することは容易な事ではなかった。中々許可が下りない中、赤穂から選出されていた代議士の故吉川久衛氏に電話したら⒉ヶ月余りで許可がおりた。

それから建設委員委員長として・小屋の設計・資材調達・荷揚げヘリの手配・資金調達・基礎工事を主導し基礎工事は免許をもっていたため火薬を使い、土台の基礎ブロック積みも自分たちで行い、環境にやさしい小屋にしようと土壌浄化方式のトイレやソーラーシステムも研修に行きと孤軍奮闘しした。その間仲間の協力があったが、小屋の大黒柱や階段の部材は我が家の山の木を伐採から搬出まで主導的な牽引者となり行って出来た小屋である。
特にテラスからのながめは、中アの縦走路が一望できるビースポットである。

空木駒峰ヒュッテ