自生のコマクサは薬草取りに採り尽され蓮華岳と群馬の白根山から持ち込まれたものである。
蓮華岳のコマクサはピンク色であり、白根山からのは赤色である

女王高山植物の女王と言われているケシ科コマクサ属で、高山植物の女王と言われ、他の植物と混生しないと言われています。

花の形が馬面に類似しているところから命名されました。氷河期の遺物とされ、砂礫地帯の養分のない所に1m位根を下ろし群生します。やがて栄養ができると他の植物に譲ります。

中央アルプス固有のものは絶滅し、北アルプスの蓮華岳と群馬の白根山から播種・移植されました。

本来冬の到来とともに根元から折れて風に転がされ種子がばらまかれて繁茂します。木曽駒ヶ岳には元々コマクサがなかったといわれる説がありますが、

昭和2年に登った宮田の平澤茂さん(宮田村郷土研究会会長)によると、馬の背の尾根頭(第1の峰)にはコマクサがあったと記しています。

更に初代ガイド組合長の虎一氏も組合の総会時(昭和63年)に大正時代には馬の背と宝剣小屋の飲料水・「宝剣水」を取りに行く途中にあったと講演しました。

更に奥山春季の高山植物研究史によると、日本にあるコマクサの標本で最も古いのは明治14年(1881)の帝大標本目録にある信州駒ヶ岳産「1880年8月矢田部・松村一行の採取」で東大に保存されていると記されていますが、2013年長野県環境保全研究所の尾関雅章さんが閲覧した見本には、小石川植物園の綴りとしてにコマクサの学名と採取地が明治14年7月信州駒ヶ岳と記されていて採取者名は無くこのコピーをいただいたが、公開は許可がないのでできないとのコメントが付けられている。

1880年は矢田部博士らがヒメウスユキソウを採取した年です。御嶽にはコマクサが現存していることからして地形的に駒ヶ岳にもあったと思われますが、薬草採りに採り尽くされたとみられます。(小屋番が生活の足しにしていた)

木曽の百薬丸の前身小判丸薬には,過ってトウヤクリントウ.コワダ共にコマクサも入れられていたと言われている。{信濃毎日新聞社発行の日本山岳紀行「ドイツ人が見た明治末の信州」Wシュタイニッツアー著の中で小屋番の老人が昼間は薬草取で、後日薬屋に買ってもらうのである。一つは黄色のトウヤクリンドウでいまひとつはハマウツボのような名前のわからない大型の植物で暗赤色の花をつけていた。」記されている。} コマクサには麻酔性ののアルカロイドが含まれていることから、行者の先達が持参して、当時の山酔い(現在の高度障害)の新人信者の治療に使ったと言われている。

天狗荘裏のコマクサは昭和52年駒ヶ根営林署の人達が大町博物館より蓮華岳の種子を入手し蒔きつづけてきましたが生育環境が適さず、発芽はしても繁殖せず中止となりました。

一方、群馬県の白根山の山口雄平氏夫妻が養殖して、昭和40年から本白根のコマクサ復元に取り組み中白根山で成功したので、昭和57年から2年間で8000株が中岳と駒ヶ岳の間の奥のお庭周辺に植えられました。雄平氏は怪我のため6年間中断していて、6年後に確認しに来ましたが、駒ヶ岳のコマクサは数本しか残っていませんでした。(著書こまくさの詩(うた))

偶々中岳の途中で石油缶大のダンボール箱を背負子に付けた雄平さんに会い根付かない

との訳を聞き堺澤虎一さんから聞いていた西駒山荘の南のザレ地を教えてた。

その翌年から2年間に亘り、ガイドとして私が関りあっていた伊那市東部中学校の協力で300本の苗が、西駒山荘の南の砂地に植えられたものが現在繁茂し続けています。

赤いコマクサ

赤いコマクサ