山頂東方伊那側に一つの祠が建っています。伊那側からの駒ヶ岳開山は、

1804年(文化元年)、御嶽講の寂本行者が最初に登っています。何時山頂

の祠を建立したかは不明ながら、1832年(天保3年)、痛んだ祠を平沢貞一という人が再建し、その後1859(安政6)年に再度改築した記録があります。天保6年.明治2年(1869)にも本社再建し9月には大鳥居を建立した。碑の貞一は伊那市西春近小出東方屋号辻生まれで。そこに貞一霊神碑があり、先達行者として碑文がある。「平澤貞一父曰定右エ門其の三男也 幼有敬神之志錐路傍之雑社拝而過長為行者苦心焦思欲開駒嶽結社称駒嶽開闢講登御嶽山凡百有餘任教導職爾後其徒益進社員益加為一萬人講社之大先達鳴呼命数有限耶将神迎此人耶向神前唱祭文声盡忽然丙逝牟時六十二則

明治十三年十一月十三日也

名曰駒嶺道別男命後十一年追悼称 駒嶽

信者は数千人居たと言われています。生家には立派な霊神碑があります

平澤貞一霊神碑