木曽駒ヶ岳の由来となった馬の雪形が出る上方の池であり、古い解説には雪形が池の水を飲んでるような状態であると記されている。

其の昔は駒ヶ岳で最初に建てられた立てられた小屋があった。当時は山小屋を作ることは、小屋掛けと言って雨風をさけるため岩陰に身を寄せるか身午前中に登頂して午後は森林帯の小屋掛けし易い地点まで下ったとされている。宮田村の記録には明治12年に最初の小屋掛け官林借用願いを内務省山林局.飯田出張所に願い出ている。

明治13年借用用地15歩.小屋の大きさ3間×4間.管理者後藤次郎平.加納平三郎.清水喜平新次郎.橋倉五郎吉.木村彦四郎となっていて高地総代会が主体であった。

其の後30年後の明治43年12月に帝室林野管理局木曽支庁に返地している。

現在の宝剣小屋は、信者が護摩供養するための休息場としての広場が必要であり、それが発展的に小屋掛けとなり明治38年に17歩を後藤重太郎他3人が借りている。